あきゆりのぶろぐ

SixTONESを中心にJr.への愛を叫ぶ

戻れない時代を振り返る

 ※今回はかなり個人的な話です。

 

 流れる時間は止められない、それでもいいと思うのだけれど、忘れたくないことだと思ったので記しておく。

 

 私がSixTONESのファンになって、沼に落ちるきっかけを作ってくれた友人以上に喜んでくれた人がいた。

 

 母だった。

 

 とても繊細な人で、過保護で、過干渉な人だった。

 

 この書き方からもわかるだろうが、とことん私とは気が合わない気質を持った人で、生まれてから「この人の元に戻ることは一生ないし、なんなら笑って話ができるとも思えない」という結論にたどり着くまで、そう長くはかからなかった。

 

 以来、必要最低限の事務的な連絡しか取らなくなった。向こうは私の気を引こうとTHE ALFEEの話を振ってくるが、すべてスルーしていた。

 

 そんな母に昨年末、話の流れでSixTONESにハマっていることがバレた(バレた、という感覚なのである)。くしくもTHE ALFEEのコンサートに気まぐれで連れて行ったときだった。

 

 年末年始を母の元で過ごす中で、時間ができた時にジャニーズJr.チャンネルを見せた。母は、私と同じ動画の同じ箇所で笑い、驚き、そして心から楽しんでくれているようだった。それが私は心底嬉しかったし、少しは親孝行になったかな、と思えた。

 

 それからというもの、母との連絡の三割くらいはSixTONESの話題になり、私は100%スルーから30%スルーくらいに返信をするようになった。新しい動画が出たら感想が届き、ドラマや表紙が決まったら驚きの言葉が飛び出し、デビュー決定の時には電話まで来た。彼らが表紙のテレビジョンもついつい買ってしまったらしい。

 

 そんな夏、母に病気が見つかった。これまで元気に働いたり、彼女の大好きなジェジュンさんのコンサートに行ったりしていたので、青天の霹靂だった。

 

 それでもしばらくは自宅療養で良いとのことだったので、ラフストの地元公演が当たったら一緒に行こうね、と約束してチケットの申し込みをした。結果は全滅。もちろんピンポイントでの譲りも見つからず、アリーナこそは行こうね、と言っていた矢先だった。

 

 母の容体が急速に悪化して入院することになった。

 そして、デビュー曲披露のベストアーティスト出演が決定したあたりから、連絡も返ってくるのが遅れるようになってきた。病床に駆けつけると笑顔で出迎えてくれたが、明かに体が一回り小さくなっていてやるせない気持ちになった。この日に放送で、XYOSHIKIさんがプロデュースだよ、と伝えると「それは見なくちゃねえ」という趣旨のことを言っていた。

 

 しかしてSixTONESImitation Rain1127日に地上波へと解き放たれた。私はSixTONES(とYOSHIKIさん)に与えられた衝撃を吸収するのに、数時間かかったが、聴けば聴くほど新発見がある名曲だと感動した。これは、直接母に伝えねば、と思い、メッセージを送らなかったことを少しだけ悔やんでいる。

 

 母とその後に会ったのは1129日のことだった。しかしもう話すのも苦しそうだったため、このことには触れられなかった。

 

 親不孝者はやはり死に目には立ち会えず、121日に母はこの世を去った。

 

 最後まで、Imitation Rainを聴くことができたのかは分からずじまいだった。

 

 そして、旅立ちの手続きを進めていく中で、この曲の歌詞を何度も頭に浮かべては救われ、繰り返し映像を見て、メロディとダンスの調和になぜかパワーをもらえることに気がついてからはリピートし、ようやく本日ほぼすべてをやり遂げた。

 

 生前、母は「私の分もデビューシングルを予約して」と私に頼んでいた。親不孝にも後まわしになってしまっていたが、彼女の分もこの度しっかり予約できたので、霊前に供えて、そしてこっそりかけようと思う。おりんの音が届くように、6人がYOSHIKIさんのメロディに乗せた音楽はしっかり届くはずだから。

 

 

 

www.sixtones.jp

 

 

 

 

 私の自担、髙地優吾さんを若い頃の父に似ていると笑った姿が無性に脳裏をよぎるのだ。